オメガトロン 創業者芳賀沼哲夫の経歴
1950年2月 | 福島県南会津郡田島町に生まれる。 父の転勤で福島にて青春時代を過ごし福島高等学校を卒業 |
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1974年 | 武蔵工業大学電気工学科卒業 |
1974年 | 茨城県の自動車部品製造企業に就職し、工場の生産ラインの自動化等の生産技術を習得。 キャブレターの部品である自動エマルジョンチューブ圧入装置、歯科用歯列矯正ピン自動蝋付け装置、(三金工業向け) プランジャーコイル自動半田付け装置等の自動機の開発設計に従事 |
1988年 | 茨城県勝田市の真空機器メーカに入社 エレクトロンボンバード型ピアス電子銃(10kV 500mA 5kW) フィールドエミッション型電子銃、アイソトープイメージングシステム等の開発を担当、技術習得する。 |
オメガトロン沿革
1993年7月8日 創業
学生時代からの夢でもあった科学技術への貢献を担いたく、茨城県那珂町のマンションの一角にて“株式会社オメガトロン“を妻と二人で営業開始。
創業当初、日本原子力研究所の表面化学研究グループ佐々木貞吉さん及び馬場祐治さんをはじめ多くの皆様に大変お世話になり、各種イオン銃の製作、その中でも固体表面科学には欠かせない“低速イオンビーム照射システム”等の高度な仕事を賜り、順調に業績を伸ばせた事を感謝いたします。この時期開発されたイオン銃技術が現在のオメガトロンを支えておりますのは云うまでもありません。*“減速型超低速質量選別式正負イオンビーム照射システム”(筑波大学納) は、表面科学の超低エネルギーイオンの関連技術と20年間培った弊社技術の集大成です。
1994年
弊社の社名のルーツでもある“オメガトロン質量分析器”の試作の仕事を当時、トリチウム研究室の奥野様より依頼され、狂喜乱舞いたしたものです。後に何かの縁で、静岡大学教授として着任された奥野様より“E×B質量選別型カーボンイオン銃” を賜りました。これにより弊社の半金属イオン銃のさきがけとなり、現在の質量選別型イオン銃 等の基礎となっております。
1996年
“まてりあ”第35巻 第1号に当時の“JRCAT”鈴木義茂さん(現在の大阪大学教授)に【反射高速電子線回折(RHEED)による薄膜形成過程の観察法】と云うタイトルにて紹介されました。鈴木様には弊社の第一号RHEED電子銃を購入頂きまして、現在の高輝度高出力電子銃 の基となりました。この電子銃は小生が失業中で独立準備しているとき、自宅の一室にて“今では伝説のドラフター“を駆使し、弊社オリジナルの高性能電子銃をと渾身の思いを込め、設計したものです。この電子銃は現在でも35μmまで絞れる高性能を誇り、これからの派生商品は多々あり、増え続けております。
1996年
当時の“電総研”から九州大学に着任された鶴島教授からは、半導体にドーズされたイオンが、半導体の電子導電度に如何に影響するかの研究に使用される“30keVパルスビームイオン銃 ”を賜りました。納品のため、勝田から福岡箱崎の往復2600kmをドライブ旅行致したこともありました。小生もこのころはタフネスを誇り、深夜2時に出発し、福岡キャナルシティーのハイアットホテルに到着したのは当日の夕方5時頃で、1300kmの距離を15時間で走破しました。購入したばかりのアコードワゴンに高価なイオン銃とコントローラ、計測器を満載してのドライブで、さすがの小生もホテルにて死んだように熟睡したのを思い出します。今を思えば、たまたま電総研に営業でお邪魔し、金山先生の研究室を訪ねた時、鶴島先生をご紹介賜りましたのが縁の始まりでした。この仕事により、高圧イオンビーム技術、静電偏向式パルスイオンビーム技術の習得と、性能向上が出来ましたので、機会を頂きましたことを感謝いたします。
1997年2月
当時無機材料研究所より“陽電子ビーム加速収束減速型ビームスキャンイメージングシステム ”と云う、減速型イオン照射技術とMCPパルスカウンティング技術を駆使したシステムを設計納入いたしました。
1998年
当時の金属材料研究所よりサンプル温度を10K~1500Kまで連続的に加熱冷却するサンプルホルダーを受注、10Kの極低温領域と1500Kの高温を同じサンプル面に同居させるという、相反する状態を実現すべく“熱伝導クラッチ式加熱冷却装置 ”を開発、納入いたしました。これは弊社のエレクトロンボンバード技術とメカトロ技術の融合で生まれた製品です。
1999年7月30日
製品が大きく、システムが多くなる為、現ひたちなか市に社屋を新築移転する。この時期長男が入社し3名で営業を開始。
2000年7月
日本原子力研究所、照射解析若井様より“遠隔操作型エレクトロンボンバード式サンプル加熱装置” 賜りました。この装置はSiC半導体等のサンプルに高エネルギーのイオンビーム(5MeV、数μA)を照射する為、放射線強度が大きく、またノイズも大きい為、デジタル制御ではエラーになりやすく、制御が難しいとの事でした。そこで弊社が独立以前に自動車部品生産工場でのメカトロで培った、DCモーターを使ったアナログ制御技術とエレクトロンボンバード技術を駆使し設計製作いたしました。ケーブル長数百mからの遠隔操作にて1300度の高温を安定して制御可能にしました。これは15年たった今でも消耗品を交換して稼働中との事です。
2001年
ホームページ開設(営業力強化)
2002年4月
原研表面化学グループのクリシュナさんより精密蒸着装置を賜り納入。これはグラフェンの研究のさきがけとなり現在も下山さんが中心となり研究中との事です。
2002年11月
中国向け“50keVカソードルミネッセンスシステム ”を受注
長男と共に北京に納品設置し、その際山野貿易社長のご厚意により、万里の長城にご案内賜り、中国の広大さに感嘆いたしたものでした。またこの仕事は弊社の海外への第一歩となりました。
2003年
EUVAプロジェクトが立ち上がりキヤノン様より“ステッパーミラー加工IBF用の5kV,10kV,30kVの高精度プロファイルイオン銃 ”を受注。イオン銃の高精度化技術を習得。このプロジェクトではビームの真円度が±0.01mmもの高精度を要求され、社内独自に3次元ビームプロファイルモニターを開発し対処しました。これが現在弊社のLabVIEW制御商品 の一翼を担っており、イオン銃の高性能化及び高精度化に寄与しています。
2003年1月30日
第2回“つくばテクノロジー・ショーケース”(主催;つくばサイエンス・アカデミー)に参加
[エンジニアリングー2]部門で“イオン銃・電子銃の特注設計製作”で発表し展示場にて江崎玲於奈館長とツーショット,憧れの人を前に紅潮した様子の小生。
2003年2月
日本原子力研究所関西研に“高速中性原子ビーム照射装置 ”を納入、この装置はイオン銃で引き出した酸素イオンをE×Bセパレータにより質量選別し、減速レンズで減速されたイオンを、差動排気されたチャンバーを通過させ、酸素ガス置換により電荷交換し、高速の中性酸素原子ビームを照射する装置です。これはSP8の寺岡さん、吉越さん が“固体表面の相互作用に使われています。
2003年3月
当時の東京工業大学原子炉工学研究所科尾上様より{新しい多面体炭素ナノ物質の創製と機能発現}の研究用“差動排気型高出力電子銃”OME-0050PSEを受注し現在にいたっております。
2003年7月
宇宙開発事業団(現JAXA)松本様より宇宙空間模擬試験用に50keVスイープ型電子銃を賜り、弊社が憧れていた宇宙開発に携わることができ、大変な喜びを感じた次第でした。
2004年3月
京都大学工学部木村健二様に“エネルギーセパレータ付き減速型低速高出力イオン銃”を納入。高誘電率ゲート絶縁膜を一様に削り取る為に、試料表面に低速イオンをすれすれの角度で入射させ、出来るだけ損傷を与えず、かつ大電流の低速イオンが要求されました。この時データでは5μA/50eV、11μA 500eVものAr出力が得られ、弊社の低速イオン銃技術が発揮できたのも、創業当時より大勢の方々の御指導が御座いましたからと思います。
2005年
業容拡大の為二男が入社。アルバイト含め6名にて営業。
2006年9月
業容拡大と製品の精密化、清浄度の要求に対応する為、研究所を開設 。
2006年12月
理化学研究所―石橋極微デバイス工学研究室森様より、表面改質用電子ビームイオンビーム照射装置 を賜りました。このシステムには減速型低速イオン銃、μスポット電子銃が搭載され、カーボンナノチューブデバイスに同時照射が可能です。また300eVにても4μAもの低速イオンが得られます。
2008年8月
JST独創モデル化「スピン偏極イオン散乱分光装置の開発 」が採択。
開発の内容すべてを実現するには、所定の予算ではかなり少なく、チャンバー、ポンプ、レーザー装置等の購入品しかそろえることが出来ない為、必要なイオン銃、電子銃、加熱装置、マニピュレータ、エネルギーアナライザ(市販価格3000万円)等を全て自作する必要に迫られました。弊社は、今まで培ってきた技術の集大成を発揮すべき時と考え、将来の技術発展の為に、採算度外視でこの事業に取り組みました。この時の仕事量は、過去に経験したことのない、知的にも体力的にもハードなモノでした。そのような訳でこの事業では、“減速型低速中性ビーム銃 ”、“分析用減速型RFイオン銃”と“2軸角度分解静電アナライザーヘッド“等の試作開発を行うことができ、現在の主力商品の元となりました。
2008年12月
JST産学共同シーズイノベーション化事業、顕在化ステージ
「テーラーメイドクラスターイオン源の研究開発」に挑戦、RF加熱技術を習得、この事業で金山敏彦先生のご指導を賜りました事により、弊社のRF技術を習得出来たこと感謝いたします。尚この技術が現在のRFイオン銃技術に生かされております。
2009年6月3日
経済産業省の“2009年元気なモノ作り中小企業300社
“きらりと光る”部門に選定され虎ノ門パレスホテルにて受賞。
2009年6月23日
茨城新聞 “モノ語り、茨城の想像力”(11)に掲載
2009年9月30日
“フォトIBARAKI”、NO577“元気ないばらきを支える人たち”に掲載
2009年12月
神戸大学木村建次郎さんより“MCP電子銃システム”(写真)を受注。通常電子ビーム露光する場合マスクを使うが、MCPを使用してマスクレスで直接基板にパターンを焼き付けるという壮大なモノで、彼の行動力、発想力のダイナミズムには、感動すら覚えた次第です。
2010年3月
東北大学酒見先生より“減速型高輝度フランシウム低速原子生成装置”を受注。これは1000℃の金ターゲットに100MeVの高速酸素18を照射、その時生じる核融合でフランシウムイオンを発生、加速・減速し、しかも中性化させるという大変高度なモノで、弊社といたしましても大変な労作でありました。酒見様が京都にて成果の発表中に3.11の震災があり、仙台では装置が稼働中で動き続けたと後日お聞きした事を思い出します。
2010年5月
WING21いばらき “きらり企業”に掲載
2010年7月
日経トップリーダー“一橋大学関満博教授と行く”
スモールビジネススクール“小さな会社が成功する秘訣”に掲載
2011年10月
茨城県信用保証協会 “経営のサプリ”に掲載
2012年
某光学機器メーカより“グリット型高出力収束イオン銃”を受注、弊社の高出力イオン銃のさきがけとなりました。この時は円高(75円/$)で外国製品と比べ価格的に不利で、大変な思いで特注製作致した次第です。これが弊社の大電流イオン銃の始まりとなり、現在に至っております。この際のビームモニターも弊社の技術が活躍いたしております。
2013年7月
大電流仕様の小型グリット型RFイオン銃 を開発販売。東京大学三村秀和先生の協力を得て評価を行って頂いております。用途:X線用回転楕円ミラー精密薄膜形成
2014年7月
“ものづくり補助金”採択。イオンガングリットの内作化により、開発期間の短縮とコストダウンを目指す。
2015年3月
“減速型超低速質量選別式正負イオンビーム照射システム ”を筑波大学に納入。水素エネルギー、燃料電池電極の開発等に使って頂けます。
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- 最も得意な分野で、最も⾼い性能を追求するため、持っているものを集中させる。
- 常に謙虚であり続け、常に新しい事に取り組み、常に難しいものに挑戦する。
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